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古代道路 東山道


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 日本の古代道の道筋を考えていて素人的に大まかな経路さえわからないのが東山道。悩ましいのは飛騨一之宮と科野一之宮と上野一之宮の間。飛騨-科野間は上高地を経由したのか、伊那方面へ一旦南下して、州羽の海に出ていたのか。古代道路は直線を好み、幅員も10から40mはあったという。伊那に出た方が先は天竜川の残した平地があるが、直線を保つなら上高地。州羽からも出口は高原を越える事となる。現在の中央線、中央道の経路は確かにぐねぐねだから好まれなくあえて蓼科を超えて佐久方面へ抜けたのではないかな。そもそも、美濃から州羽に行く前に飛騨に行く必要が有ったのだろうか。ヤマトが来る前の飛騨の神は強力だったのだろうか?ちょっと気になる。基本的にヤマト朝廷は各地に強い信仰がいると持ち上げて神話に取り込んでいた。飛騨方面も調べてみたいなあぁ。如何せん現在には書物は残ってないし、地形と気候と(本来の)神社の配置とかから読み取るしかないやね。その点ではやっぱ自分は地理選択で地理好き地図好き地形好き気象好きで良かったかなと。「道路」ってのは使う人がいなきゃ寂れて跡形も無くなってしまう物だから。

『高部の文化財』入手


 諏訪から帰宅後、Googleを駆使して、京都の古本屋吉岡書店に有るのを発見。発注して、倉庫の在庫確認してもらって、郵便振替で入金して、ゆうメールで送付と長い道のりでしたが、なんとか入手しました。今まで書かなかったのはインターセプトされるのを避ける為。非売品だけど3,000円の値がついてました。平成八年刊だけら安く手に入ったんかな。あと、平成十八十二月刊の『続 高部の文化財』も手元に欲しいのだが、まだ見つけられてない。諏訪市図書館である程度は読んだけど、手持ちと諏訪圏まで読みに行くのでは手間が違う。おなじく非売品なのでまだ古本屋に出回るまでは時間かかるかなぁ。でも、非売品として地元に配るならパブリックドメインとしてネット上で公開して欲しいのが本音。守矢文書全般に言えますけど。史料館で公開しているとはいえ現地でゆっくり読めないじゃん。保存状態が悪くなる前に全スキャンしてネット公開だよ。諏訪への交通費や滞在費を考えると閲覧料として幾ばくかを払うのありで。

まだまだ知りたいこと。

 諏訪湖から天竜川沿いに太平洋までの地域の昔が知りたい。出来れば飯田から西に折れる形で。自分のルーツがR153号線飯田街道沿いなのですね。自分の祖先はどこから来たのか、どの師だったのかとか生活にはなんら役には立ちませんが知識欲の足しにはなります。父方のもとの姓が「羽矢」というのもなんか引っかかる。如何せん稀少姓なのでネットではなかなか引っかからない。現地(旧足助町)に行って調べるしかないかしらん。母方は三河では有名な「本多」氏なので調べる事ないし。週末に一周忌をする爺さんは「康訓」さん。母親は「康江」。家康の「康」を貰ってるっぽいかな。それは弟に引き継がれて、自分は親父の「昌」を引き継いでいるのだけども、これはどこから来たのやら?希望的には羽矢系が州羽まで繋がるとうれしいのだが。ちなみに実家は以下の7:38あたり。この動画は自分にはすごくなつかしい感じ、Part2とかもう豊田市になっちゃった足助町あたり。

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